BH ミャンマー情報【ミャンマーの歴史2】
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本日はミャンマーの歴史についての続きをまとめてみました。
前回の記事はこちらからご覧ください。
さて、1987年にLLDCの認定を受けてしまったミャンマーですが、
政変がまだまだ続いていきます。
1988年、大規模な民主化要求デモが発生して、
26年間続いた社会主義体制が崩壊しました。
国軍がデモを鎮圧し、軍事政権が成立。
外国投資法の制定等の経済開放政策を推進しましたが、
非現実的な為替レートや硬直的な経済構造が発展の障害になり、
外貨不足に陥ってしまいます。
そんな中、1990年に総選挙が実施され、
アウン・サウン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したのですが、
当時の政府はその結果を無視しました。
我々の感覚からすると、
「選挙結果を無視ってどういうこと?」
と考えてしましますが、
それができてしまうのが軍事政権の怖いところですね。
さらに、2003年2月には、民間銀行利用者の預金取付騒ぎが発生して、
民間銀行や一般企業が深刻な資金不足に見舞われてしまいます。
同年5月、SPDC(国家開発平和協議会)によるNLD(国民民主連盟)の襲撃により、
死傷者・行方不明者が多数発生する事件が起こりました。
この事件でアウン・サン・スー・チー氏ほか多数が
不当逮捕・拘束され、以後、自宅軟禁を余儀なくされる事態となります。
国内産業への大きな打撃となり、経済が鈍化していきます。
進展が見られないという理由から経済制裁を発動。
2007年9月には、大規模なデモが発生し、
こういったデモ参加者に対するミャンマー当局の実力行使を受けて、
米・EUは経済制裁措置の強化を行います。
それに追随する形で、オーストラリアも金融制裁措置を取ることになりました。
こうして、ミャンマーという国は、
国際的に孤立していきます。
いかがでしたでしょうか。
2007年というと、大分感覚としては近年になってきたと思いますが、
その時代でもこれだけ多くの問題が発生し、
国民たちも激動の時代に巻き込まれていたのです。
それに比べると我々先進国は
本当に恵まれてるのだと感じますね。
次回はさらに現在に近い時代までご説明していきます。